Weightlifting
ウエイトリフティング

日本ウエイトリフティング協会

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納得のいく試合がしたい
2015年世界選手権男子105キロ超級日本代表、太田和臣選手(29)に聴く

 米国テキサス州ヒューストンで11月20日(金)から始まる2015年世界選手権には、男子8選手、女子7選手が日本代表として出場する。2016年のリオデジャネイロ五輪への出場枠は、この世界選手権の成績などを基に与えられるため、代表メンバーらは「男子3枠、女子4枠を必ず確保する」を合言葉にしている。2012年のロンドン五輪で男子唯一の日本代表で、今回も選ばれた105キロ超級、太田和臣選手(29)=福岡県・九州国際大職員=に、これまでの競技人生と、大会への思いを尋ねた。【聞き手・毎日アスリート・パートナーズ 山口一朗】

きっかけは「柔道部監督がいなくなったから」

  ウエイトリフティングを始めたきっかけは?

 太田 中学3年まで柔道をやっていて、推薦で高校に入りました。ところが、顧問の先生が転勤でいなくなってしまい、たまたま柔道の隣で練習していた重量挙げに誘われました。部員は男子3人、女子1人。ただ、顧問はいなかったけど、せっかく柔道で入学したので、(高校柔道の三大大会の一つで毎年夏に開かれる)金鷲旗全国高等学校柔道大会だけ出させてもらいました。大将を任されたけど、5人抜きで1回戦負けしてしまいました。

  当時の身長、体重は?

 太田 180センチ弱、92〜93キロぐらいでした。高校1年の秋にあった福岡県の新人戦がデビュー戦で、スナッチ60キロ、ジャーク80キロの合計140キロぐらい。「参加した1人」というだけの選手でした。

  ウエイトリフティングを始めたころの思い出は?

 太田 最もきつかったのは、ウエイトリフティングを始めて間もない時です。高校1年の国体に向けた4日間の合宿でした。部員が少ないので、練習中は守昌宏監督(現・日本ウエイトリフティング協会理事)の目が厳しかったですね。少しサボると、すぐにばれる。マンツーマンで3時間練習ということもありました。「きついという気持ちすらもったいないと思うほど追い込んでやる」「強くなりたいだろ」と、プレッシャーをかけられました。ただ、練習を離れると、守監督は優しく面倒を見てくれました。コンビニでジュースやアイスを買って飲んだり食べたりさせてくれるのが、すごくうれしかったですね。

 それから、高校2年のインターハイ(全国高校総体)のころ。当時の体重は100キロぐらい。大会には105キロ超級で出たので、体重を増やすために、泣きながら食べたり、大会時の計量前に水を飲んだりもしました。

国体8位入賞。そして高校3冠

  当時の成績は、どのぐらいでしたか。

 太田 2年の高校総体は13位でした。その年の国体では、スナッチで種目別8位に入ったのが自信になりました。(国体は、選手の成績によって所属する府県にポイントが加算されるため、)福岡県選手団に1ポイントを加算することができたんです。

  それが、翌年の大会での好成績につながったと。

 太田 3年になる年の3月にある全国高校選抜大会のリザルト表(出場選手の自己ベスト記録一覧)で、僕の名前が105キロ超級の3番目にあったんです。1位がスナッチ、ジャーク合計260キロで、僕が255キロ。選手は常にベストを出せる訳ではないから、「優勝できるかも」と思って、一気に緊張しました(笑い)。守監督からは「メダル(3位以内)を狙っていくか」と言われました。結局、スナッチが1位、ジャークが3位で、トータルで優勝。その後、全国高校総体、国体も優勝できて、「高校3冠」を達成し、当時の高校日本記録312キロ(スナッチ142キロ、ジャーク170キロ)も出すことができました。

  競技を続ける中で、故障などで苦労したことはありませんか。

 太田 高校生のとき、中国であった日韓中3カ国のフレンドシップ大会に出た時に、熱を出して、下痢をしました。以来、海外での調整が苦手というか、難しい。大学時代にも悩んでいました。今は慣れたのですが。

初の五輪は祖父の故郷

  全日本選手権で9連覇しているんですね。

 太田 はい。大学2年の時(2007年)に初めて初優勝して、小宮山哲雄先生(世界選手権男子監督)に全日本の合宿に呼んでいただきました。2008年の北京五輪の時は、日本男子は3選手を出場させることができたのですが、その3人に入ることができませんでした。2012年のロンドン五輪で日本男子は1人しか出場権を確保できていませんでしたが、僕が選ばれました。父方の祖父が英国人なので、運命を感じました。代表になることが決まって、1週間ぐらいは、うれしくてしょうがなかった。初の五輪は13位。ジャッジが厳しかったという印象があるのですが、「もうちょっと出来たかな」という気持ちもあります。

  7回目の世界選手権代表になって、今回、考えていることは?

 太田 納得の行く試合がしたいです。そして、日本として3枠(の代表権)を確保したい。(体重の軽い選手から登場するため、)僕は出場選手のうち、最後に登場することになります。選手団全体の成績が、日本の代表権獲得に関係があるので、無理をして記録を狙うこともあるかもしれない。自分のアピールもしたいですが、いいパフォーマンスをしたいと考えています。

将来は、教える立場に

  大学卒業後も、大学に職員として残って、後輩たちをコーチしていますよね。将来の夢はありますか。

 太田 ウエイトリフティングを教える立場になりたいです。チビッ子教室を開くこともあるのですが、体の使い方を教えています。ウエイトリフティングは、いろんなスポーツの基礎となる動きがあります。ほかのスポーツをやっていて、けがが多い人は、ウエイトリフティングを学ぶことで、けがを予防することができると思います。

太田 和臣 (おおた かずおみ)

 1986年生まれ。北九州市出身。福岡県立八幡中央高入学までは柔道選手。高校1年夏からウエイトリフティングに転向し、2年生の3月にあった全国高校選抜大会で優勝。続く全国高校総体、国体とも制して、「高校3冠」を達成した。卒業後、九州国際大に進学。2年の時に全日本選手権を初制覇し、2015年まで9連覇。大学卒業後も職員として残り、後輩たちの指導を続ける。2012年ロンドン五輪13位(スナッチ185キロ、ジャーク215キロ、合計400キロ)。公式記録の最高は、スナッチ188キロ、ジャーク227キロ、合計412キロ。自己ベストはスナッチ195キロ、ジャーク230キロ。身長183センチ、体重145キロ。

【リオデジャネイロ五輪への出場枠について】

日本ウエイトリフティング協会によると、リオ五輪の出場選手は、以下の要領で決める。

リオ五輪のウエイトリフティング競技に出場できるのは、最大で男子156人、女子104人。うち、世界選手権で出場権を得られるのは、男子108人、女子67人。
選手には、2014年と2015年の世界選手権での順位に応じて得点が与えられ、男子は上位8人、女子は上位6人の得点を合計する。これが、国別得点になる。
今年11月の世界選手権が終わった段階で、国別得点を男女別に比較する。下表のように、国別出場選手数(枠)が決まる。男子25位以下、女子22位以下は、この時点では出場枠「0」となる。
 ※日本が目指す「男子3枠、女子4枠」は、言い換えると、「国別得点による順位で、男子24位以内、女子9位以内」ということになる。

男子

合計得点の順位 出場枠 合計人数
1〜 6位 6人 6×6=36人
7〜12位 5人 5×6=30人
12〜18位 4人 4×6=24人
19〜24位 3人 3×6=18人
  108人

女子

合計得点の順位 出場枠 合計人数
1〜9位 4人 4×9=36人
10〜16位 3人 3×7=21人
17〜21位 2人 2×5=10人
  67人

上記で出場枠が獲得できなかった場合、日本は、2016年のアジア選手権で男子7位以内、女子6位以内(いずれも③で出場権を獲得した国を除く)に入れば、出場枠「1」を確保できる。
獲得した「出場枠」に応じて、日本代表として誰をリオ五輪に派遣するかは、2014年以降の世界選手権やアジア選手権などの大会に出場した選手の中から、成績を比較

(インタビューと写真は、毎日新聞社。五輪出場選手の決定方法についての情報は、日本ウエイトリフティング協会提供。2015年10月1日更新)

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